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attāアッター

attan.reflexive

訳
自分
説明
行為者・所有者・評価の対象と同一の当人を、再帰・所有・場所などの関係で指し返す用法。〔暫定〕

出てくる節(4)

  1. 教えの輪を転じた経 sn56.11:2.3一つは、感覚的な快楽にふけることです。これは低く、卑しく、ふつうの人のすることで、尊くなく、ためになりません。もう一つは、自分を苦しめることに励むことです。これは苦しく、尊くなく、ためになりません。Yo cāyaṁ kāmesu kāmasukhallikānuyogo hīno gammo pothujjaniko anariyo anatthasaṁhito, yo cāyaṁ attakilamathānuyogo dukkho anariyo anatthasaṁhito.
  2. 幸いの経 kp5:4.3自分を正しく据えること。Attasammāpaṇidhi ca,
  3. カンカーレーワタの経 ud5.7:1.3さて、そのとき、尊者カンカーレーワタは世尊の近くに座っていました。足を組み、身体をまっすぐに立て、疑いを乗り越えた自らの清らかさを振り返っていました。Tena kho pana samayena āyasmā kaṅkhārevato bhagavato avidūre nisinno hoti pallaṅkaṁ ābhujitvā ujuṁ kāyaṁ paṇidhāya attano kaṅkhāvitaraṇavisuddhiṁ paccavekkhamāno.
  4. カンカーレーワタの経 ud5.7:2.1世尊は、近くに座っている尊者カンカーレーワタをご覧になりました。彼は足を組み、身体をまっすぐに立て、疑いを乗り越えた自らの清らかさを振り返っていました。Addasā kho bhagavā āyasmantaṁ kaṅkhārevataṁ avidūre nisinnaṁ pallaṅkaṁ ābhujitvā ujuṁ kāyaṁ paṇidhāya attano kaṅkhāvitaraṇavisuddhiṁ paccavekkhamānaṁ.

attan.doctrinal_self

訳
自己
説明
五蘊等について自己として同定され、見解・執取の内容となる恒存的主体の概念。〔暫定〕

出てくる節(20)

  1. 分けて説く経 sn12.2:6.3欲への執着、見解への執着、戒めやしきたりへの執着です。自己という説への執着です。kāmupādānaṁ, diṭṭhupādānaṁ, sīlabbatupādānaṁ, attavādupādānaṁ.
  2. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:2.1「比丘たちよ、物質は自己ではありません。“Rūpaṁ, bhikkhave, anattā.
  3. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:2.2もしこの物質が自己であるなら、比丘たちよ、この物質は患いにつながらないでしょう。そして物質について、次のようにできるでしょう。Rūpañca hidaṁ, bhikkhave, attā abhavissa, nayidaṁ rūpaṁ ābādhāya saṁvatteyya, labbhetha ca rūpe:
  4. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:2.4しかし、比丘たちよ、物質は自己ではないので、物質は患いにつながります。そして物質について、次のようにはできません。Yasmā ca kho, bhikkhave, rūpaṁ anattā, tasmā rūpaṁ ābādhāya saṁvattati, na ca labbhati rūpe:
  5. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:3.1感受は自己ではありません。Vedanā anattā.
  6. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:3.2もしこの感受が自己であるなら、比丘たちよ、この感受は患いにつながらないでしょう。そして感受について、次のようにできるでしょう。Vedanā ca hidaṁ, bhikkhave, attā abhavissa, nayidaṁ vedanā ābādhāya saṁvatteyya, labbhetha ca vedanāya:
  7. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:3.4しかし、比丘たちよ、感受は自己ではないので、感受は患いにつながります。そして感受について、次のようにはできません。Yasmā ca kho, bhikkhave, vedanā anattā, tasmā vedanā ābādhāya saṁvattati, na ca labbhati vedanāya:
  8. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:4.1想は自己ではありません。……〔省略〕Saññā anattā …pe…
  9. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:4.2形成作用は自己ではありません。saṅkhārā anattā.
  10. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:4.3もしこれらの形成作用が自己であるなら、比丘たちよ、これらの形成作用は患いにつながらないでしょう。そして形成作用について、次のようにできるでしょう。Saṅkhārā ca hidaṁ, bhikkhave, attā abhavissaṁsu, nayidaṁ saṅkhārā ābādhāya saṁvatteyyuṁ, labbhetha ca saṅkhāresu:
  11. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:4.5しかし、比丘たちよ、形成作用は自己ではないので、形成作用は患いにつながります。そして形成作用について、次のようにはできません。Yasmā ca kho, bhikkhave, saṅkhārā anattā, tasmā saṅkhārā ābādhāya saṁvattanti, na ca labbhati saṅkhāresu:
  12. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:5.1識は自己ではありません。Viññāṇaṁ anattā.
  13. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:5.2もしこの識が自己であるなら、比丘たちよ、この識は患いにつながらないでしょう。そして識について、次のようにできるでしょう。Viññāṇañca hidaṁ, bhikkhave, attā abhavissa, nayidaṁ viññāṇaṁ ābādhāya saṁvatteyya, labbhetha ca viññāṇe:
  14. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:5.4しかし、比丘たちよ、識は自己ではないので、識は患いにつながります。そして識について、次のようにはできません。Yasmā ca kho, bhikkhave, viññāṇaṁ anattā, tasmā viññāṇaṁ ābādhāya saṁvattati, na ca labbhati viññāṇe:
  15. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:6.7『これは私のものだ。これは私である。これは私の自己だ』」と。‘etaṁ mama, esohamasmi, eso me attā’”ti?
  16. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:6.17『これは私のものだ。これは私である。これは私の自己だ』」と。‘etaṁ mama, esohamasmi, eso me attā’”ti?
  17. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:7.1「それゆえ、比丘たちよ、過去・未来・現在の物質のうち、内にあるもの、あるいは外にあるもの、粗いもの、あるいは細かなもの、劣ったもの、あるいは優れたもの、遠くにあるもの、あるいは近くにあるもの、そのすべての物質を、『これは私のものではない。これは私ではない。これは私の自己ではない』と、このようにありのままに正しい知恵で見なければなりません。“Tasmātiha, bhikkhave, yaṁ kiñci rūpaṁ atītānāgatapaccuppannaṁ ajjhattaṁ vā bahiddhā vā oḷārikaṁ vā sukhumaṁ vā hīnaṁ vā paṇītaṁ vā yaṁ dūre santike vā, sabbaṁ rūpaṁ: ‘netaṁ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti evametaṁ yathābhūtaṁ sammappaññāya daṭṭhabbaṁ.
  18. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:8.1過去・未来・現在の感受のうち、内にあるもの、あるいは外にあるもの、……〔省略〕遠くにあるもの、あるいは近くにあるもの、そのすべての感受を、『これは私のものではない。これは私ではない。これは私の自己ではない』と、このようにありのままに正しい知恵で見なければなりません。Yā kāci vedanā atītānāgatapaccuppannā ajjhattā vā bahiddhā vā …pe… yā dūre santike vā, sabbā vedanā: ‘netaṁ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti evametaṁ yathābhūtaṁ sammappaññāya daṭṭhabbaṁ.
  19. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:9.2過去・未来・現在の形成作用のうち、内にあるもの、あるいは外にあるもの、……〔省略〕遠くにあるもの、あるいは近くにあるもの、そのすべての形成作用を、『これは私のものではない。これは私ではない。これは私の自己ではない』と、このようにありのままに正しい知恵で見なければなりません。ye keci saṅkhārā atītānāgatapaccuppannā ajjhattaṁ vā bahiddhā vā …pe… ye dūre santike vā, sabbe saṅkhārā: ‘netaṁ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti evametaṁ yathābhūtaṁ sammappaññāya daṭṭhabbaṁ.
  20. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:10.1過去・未来・現在の識のうち、内にあるもの、あるいは外にあるもの、粗いもの、あるいは細かなもの、劣ったもの、あるいは優れたもの、遠くにあるもの、あるいは近くにあるもの、そのすべての識を、『これは私のものではない。これは私ではない。これは私の自己ではない』と、このようにありのままに正しい知恵で見なければなりません。Yaṁ kiñci viññāṇaṁ atītānāgatapaccuppannaṁ ajjhattaṁ vā bahiddhā vā oḷārikaṁ vā sukhumaṁ vā hīnaṁ vā paṇītaṁ vā yaṁ dūre santike vā, sabbaṁ viññāṇaṁ: ‘netaṁ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti evametaṁ yathābhūtaṁ sammappaññāya daṭṭhabbaṁ.

attan.individual_existence

訳
自分という存在
説明
得られ、形成され、粗大・意所成・無色などの型や規模をもつ個体的な存在形態。〔暫定〕

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