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vāヴァー

機能語(不変化詞)

vā.particle

訳
または/あるいは
説明
選択の不変化詞。前の語の後ろに置き、A vā B vā と両方に付きます。

出てくる節(13)

  1. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:6.2物質は変わらないものですか、あるいは移ろうものですか」と。rūpaṁ niccaṁ vā aniccaṁ vā”ti?
  2. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:6.4「移ろうものは苦しみですか、あるいは快さですか」と。“Yaṁ panāniccaṁ dukkhaṁ vā taṁ sukhaṁ vā”ti?
  3. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:6.12識は変わらないものですか、あるいは移ろうものですか」と。viññāṇaṁ niccaṁ vā aniccaṁ vā”ti?
  4. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:6.14「移ろうものは苦しみですか、あるいは快さですか」と。“Yaṁ panāniccaṁ dukkhaṁ vā taṁ sukhaṁ vā”ti?
  5. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:7.1「それゆえ、比丘たちよ、過去・未来・現在の物質のうち、内にあるもの、あるいは外にあるもの、粗いもの、あるいは細かなもの、劣ったもの、あるいは優れたもの、遠くにあるもの、あるいは近くにあるもの、そのすべての物質を、『これは私のものではない。これは私ではない。これは私の自己ではない』と、このようにありのままに正しい知恵で見なければなりません。“Tasmātiha, bhikkhave, yaṁ kiñci rūpaṁ atītānāgatapaccuppannaṁ ajjhattaṁ vā bahiddhā vā oḷārikaṁ vā sukhumaṁ vā hīnaṁ vā paṇītaṁ vā yaṁ dūre santike vā, sabbaṁ rūpaṁ: ‘netaṁ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti evametaṁ yathābhūtaṁ sammappaññāya daṭṭhabbaṁ.
  6. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:8.1過去・未来・現在の感受のうち、内にあるもの、あるいは外にあるもの、……〔省略〕遠くにあるもの、あるいは近くにあるもの、そのすべての感受を、『これは私のものではない。これは私ではない。これは私の自己ではない』と、このようにありのままに正しい知恵で見なければなりません。Yā kāci vedanā atītānāgatapaccuppannā ajjhattā vā bahiddhā vā …pe… yā dūre santike vā, sabbā vedanā: ‘netaṁ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti evametaṁ yathābhūtaṁ sammappaññāya daṭṭhabbaṁ.
  7. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:9.2過去・未来・現在の形成作用のうち、内にあるもの、あるいは外にあるもの、……〔省略〕遠くにあるもの、あるいは近くにあるもの、そのすべての形成作用を、『これは私のものではない。これは私ではない。これは私の自己ではない』と、このようにありのままに正しい知恵で見なければなりません。ye keci saṅkhārā atītānāgatapaccuppannā ajjhattaṁ vā bahiddhā vā …pe… ye dūre santike vā, sabbe saṅkhārā: ‘netaṁ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti evametaṁ yathābhūtaṁ sammappaññāya daṭṭhabbaṁ.
  8. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:10.1過去・未来・現在の識のうち、内にあるもの、あるいは外にあるもの、粗いもの、あるいは細かなもの、劣ったもの、あるいは優れたもの、遠くにあるもの、あるいは近くにあるもの、そのすべての識を、『これは私のものではない。これは私ではない。これは私の自己ではない』と、このようにありのままに正しい知恵で見なければなりません。Yaṁ kiñci viññāṇaṁ atītānāgatapaccuppannaṁ ajjhattaṁ vā bahiddhā vā oḷārikaṁ vā sukhumaṁ vā hīnaṁ vā paṇītaṁ vā yaṁ dūre santike vā, sabbaṁ viññāṇaṁ: ‘netaṁ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti evametaṁ yathābhūtaṁ sammappaññāya daṭṭhabbaṁ.
  9. 教えの輪を転じた経 sn56.11:12.2「世尊はバーラーナシーのイシパタナにある鹿の園で、この上ない教えの輪を転じられました。これは、修行者にも、バラモンにも、神にも、マーラにも、ブラフマーにも、世の中のだれにも覆すことができません」と。“etaṁ bhagavatā bārāṇasiyaṁ isipatane migadāye anuttaraṁ dhammacakkaṁ pavattitaṁ appaṭivattiyaṁ samaṇena vā brāhmaṇena vā devena vā mārena vā brahmunā vā kenaci vā lokasmin”ti.
  10. 教えの輪を転じた経 sn56.11:12.4「世尊はバーラーナシーのイシパタナにある鹿の園で、この上ない教えの輪を転じられました。これは、修行者にも、バラモンにも、神にも、マーラにも、ブラフマーにも、世の中のだれにも覆すことができません」と。“etaṁ bhagavatā bārāṇasiyaṁ isipatane migadāye anuttaraṁ dhammacakkaṁ pavattitaṁ, appaṭivattiyaṁ samaṇena vā brāhmaṇena vā devena vā mārena vā brahmunā vā kenaci vā lokasmin”ti.
  11. 教えの輪を転じた経 sn56.11:12.11「世尊はバーラーナシーのイシパタナにある鹿の園で、この上ない教えの輪を転じられました。これは、修行者にも、バラモンにも、神にも、マーラにも、ブラフマーにも、世の中のだれにも覆すことができません」と。“etaṁ bhagavatā bārāṇasiyaṁ isipatane migadāye anuttaraṁ dhammacakkaṁ pavattitaṁ appaṭivattiyaṁ samaṇena vā brāhmaṇena vā devena vā mārena vā brahmunā vā kenaci vā lokasmin”ti.
  12. カンカーレーワタの経 ud5.7:4.1「この世であれ、あの世であれ、どのような疑いも、“Yā kāci kaṅkhā idha vā huraṁ vā,
  13. カンカーレーワタの経 ud5.7:4.2自ら知りうるものであれ、他者から知りうるものであれ、Sakavediyā vā paravediyā vā;