naナ
機能語(不変化詞)
na.particle
- 訳
- 〜ない
- 説明
- 否定の不変化詞。動詞の前に置きます。
出てくる節(12)
- 自己ではないという特徴の経 sn22.59:2.4しかし、比丘たちよ、物質は自己ではないので、物質は患いにつながります。そして物質について、次のようにはできません。Yasmā ca kho, bhikkhave, rūpaṁ anattā, tasmā rūpaṁ ābādhāya saṁvattati, na ca labbhati rūpe:
- 自己ではないという特徴の経 sn22.59:3.4しかし、比丘たちよ、感受は自己ではないので、感受は患いにつながります。そして感受について、次のようにはできません。Yasmā ca kho, bhikkhave, vedanā anattā, tasmā vedanā ābādhāya saṁvattati, na ca labbhati vedanāya:
- 自己ではないという特徴の経 sn22.59:4.5しかし、比丘たちよ、形成作用は自己ではないので、形成作用は患いにつながります。そして形成作用について、次のようにはできません。Yasmā ca kho, bhikkhave, saṅkhārā anattā, tasmā saṅkhārā ābādhāya saṁvattanti, na ca labbhati saṅkhāresu:
- 自己ではないという特徴の経 sn22.59:5.4しかし、比丘たちよ、識は自己ではないので、識は患いにつながります。そして識について、次のようにはできません。Yasmā ca kho, bhikkhave, viññāṇaṁ anattā, tasmā viññāṇaṁ ābādhāya saṁvattati, na ca labbhati viññāṇe:
- 自己ではないという特徴の経 sn22.59:7.1「それゆえ、比丘たちよ、過去・未来・現在の物質のうち、内にあるもの、あるいは外にあるもの、粗いもの、あるいは細かなもの、劣ったもの、あるいは優れたもの、遠くにあるもの、あるいは近くにあるもの、そのすべての物質を、『これは私のものではない。これは私ではない。これは私の自己ではない』と、このようにありのままに正しい知恵で見なければなりません。“Tasmātiha, bhikkhave, yaṁ kiñci rūpaṁ atītānāgatapaccuppannaṁ ajjhattaṁ vā bahiddhā vā oḷārikaṁ vā sukhumaṁ vā hīnaṁ vā paṇītaṁ vā yaṁ dūre santike vā, sabbaṁ rūpaṁ: ‘netaṁ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti evametaṁ yathābhūtaṁ sammappaññāya daṭṭhabbaṁ.
- 自己ではないという特徴の経 sn22.59:8.1過去・未来・現在の感受のうち、内にあるもの、あるいは外にあるもの、……〔省略〕遠くにあるもの、あるいは近くにあるもの、そのすべての感受を、『これは私のものではない。これは私ではない。これは私の自己ではない』と、このようにありのままに正しい知恵で見なければなりません。Yā kāci vedanā atītānāgatapaccuppannā ajjhattā vā bahiddhā vā …pe… yā dūre santike vā, sabbā vedanā: ‘netaṁ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti evametaṁ yathābhūtaṁ sammappaññāya daṭṭhabbaṁ.
- 自己ではないという特徴の経 sn22.59:9.2過去・未来・現在の形成作用のうち、内にあるもの、あるいは外にあるもの、……〔省略〕遠くにあるもの、あるいは近くにあるもの、そのすべての形成作用を、『これは私のものではない。これは私ではない。これは私の自己ではない』と、このようにありのままに正しい知恵で見なければなりません。ye keci saṅkhārā atītānāgatapaccuppannā ajjhattaṁ vā bahiddhā vā …pe… ye dūre santike vā, sabbe saṅkhārā: ‘netaṁ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti evametaṁ yathābhūtaṁ sammappaññāya daṭṭhabbaṁ.
- 自己ではないという特徴の経 sn22.59:10.1過去・未来・現在の識のうち、内にあるもの、あるいは外にあるもの、粗いもの、あるいは細かなもの、劣ったもの、あるいは優れたもの、遠くにあるもの、あるいは近くにあるもの、そのすべての識を、『これは私のものではない。これは私ではない。これは私の自己ではない』と、このようにありのままに正しい知恵で見なければなりません。Yaṁ kiñci viññāṇaṁ atītānāgatapaccuppannaṁ ajjhattaṁ vā bahiddhā vā oḷārikaṁ vā sukhumaṁ vā hīnaṁ vā paṇītaṁ vā yaṁ dūre santike vā, sabbaṁ viññāṇaṁ: ‘netaṁ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti evametaṁ yathābhūtaṁ sammappaññāya daṭṭhabbaṁ.
- 教えの輪を転じた経 sn56.11:2.1「比丘たちよ、家を出た者が近づいてはならない二つの極端があります。“Dveme, bhikkhave, antā pabbajitena na sevitabbā.
- 教えの輪を転じた経 sn56.11:4.2生まれることも苦しみ、老いることも苦しみ、病むことも苦しみ、死ぬことも苦しみです。好まないものと結びつくことは苦しみ、好むものと離れることは苦しみ、求めても得られないことも苦しみです。まとめれば、執着の対象となる五つの集まりが苦しみです。jātipi dukkhā, jarāpi dukkhā, byādhipi dukkho, maraṇampi dukkhaṁ, appiyehi sampayogo dukkho, piyehi vippayogo dukkho, yampicchaṁ na labhati tampi dukkhaṁ—saṅkhittena pañcupādānakkhandhā dukkhā.
- 教えの輪を転じた経 sn56.11:9.1比丘たちよ、これら四つの尊い真理について、このように三めぐり十二のかたちで、あるがままに知り見ることが十分に清らかでなかったあいだは、わたしは、神々やマーラやブラフマーをふくむ世の中でも、修行者やバラモン・神々・人間をふくむ人々のなかでも、『この上ない正しい目覚めをさとった』と言い明かすことはありませんでした。Yāvakīvañca me, bhikkhave, imesu catūsu ariyasaccesu evaṁ tiparivaṭṭaṁ dvādasākāraṁ yathābhūtaṁ ñāṇadassanaṁ na suvisuddhaṁ ahosi, neva tāvāhaṁ, bhikkhave, sadevake loke samārake sabrahmake sassamaṇabrāhmaṇiyā pajāya sadevamanussāya ‘anuttaraṁ sammāsambodhiṁ abhisambuddho’ti paccaññāsiṁ.
- 幸いの経 kp5:12.2その人の心は揺れず、cittaṁ yassa na kampati;