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bhikkhuビック

bhikkhu.monastic

訳
比丘
伝統訳
比丘
説明
家を出て、ブッダの教えのもとで修行する人。もとは「施しを受けて暮らす人」の意。

出てくる節(78)

  1. 分けて説く経 sn12.2:1.2「比丘たちよ、私はあなたがたに、条件によって生じることを説き、分けて説明します。“Paṭiccasamuppādaṁ vo, bhikkhave, desessāmi vibhajissāmi.
  2. 分けて説く経 sn12.2:1.4「このように、尊者よ」と、その比丘たちは世尊に答えました。“Evaṁ, bhante”ti kho te bhikkhū bhagavato paccassosuṁ.
  3. 分けて説く経 sn12.2:2.1「比丘たちよ、条件によって生じることとは何ですか?“Katamo ca, bhikkhave, paṭiccasamuppādo?
  4. 分けて説く経 sn12.2:2.2比丘たちよ、無明を条件として、形成作用が生じます;Avijjāpaccayā, bhikkhave, saṅkhārā;
  5. 分けて説く経 sn12.2:3.1比丘たちよ、老いと死とは何ですか?Katamañca, bhikkhave, jarāmaraṇaṁ?
  6. 分けて説く経 sn12.2:3.7比丘たちよ、これを老いと死といいます。Idaṁ vuccati, bhikkhave, jarāmaraṇaṁ.
  7. 分けて説く経 sn12.2:4.1比丘たちよ、生まれることとは何ですか?Katamā ca, bhikkhave, jāti?
  8. 分けて説く経 sn12.2:4.3比丘たちよ、これを生まれることといいます。Ayaṁ vuccati, bhikkhave, jāti.
  9. 分けて説く経 sn12.2:5.1比丘たちよ、生存とは何ですか?Katamo ca, bhikkhave, bhavo?
  10. 分けて説く経 sn12.2:5.2比丘たちよ、生存にはこの三つがあります—Tayome, bhikkhave, bhavā—
  11. 分けて説く経 sn12.2:5.4比丘たちよ、これを生存といいます。Ayaṁ vuccati, bhikkhave, bhavo.
  12. 分けて説く経 sn12.2:6.1比丘たちよ、執着とは何ですか?Katamañca, bhikkhave, upādānaṁ?
  13. 分けて説く経 sn12.2:6.2比丘たちよ、執着にはこの四つがあります—Cattārimāni, bhikkhave, upādānāni—
  14. 分けて説く経 sn12.2:6.4比丘たちよ、これを執着といいます。Idaṁ vuccati, bhikkhave, upādānaṁ.
  15. 分けて説く経 sn12.2:7.1比丘たちよ、渇愛とは何ですか?Katamā ca, bhikkhave, taṇhā?
  16. 分けて説く経 sn12.2:7.2比丘たちよ、渇愛にはこの六つの群があります—Chayime, bhikkhave, taṇhākāyā—
  17. 分けて説く経 sn12.2:7.4比丘たちよ、これを渇愛といいます。Ayaṁ vuccati, bhikkhave, taṇhā.
  18. 分けて説く経 sn12.2:8.1比丘たちよ、感受とは何ですか?Katamā ca, bhikkhave, vedanā?
  19. 分けて説く経 sn12.2:8.2比丘たちよ、感受にはこの六つの群があります—Chayime, bhikkhave, vedanākāyā—
  20. 分けて説く経 sn12.2:8.4比丘たちよ、これを感受といいます。Ayaṁ vuccati, bhikkhave, vedanā.
  21. 分けて説く経 sn12.2:9.1比丘たちよ、接触とは何ですか?Katamo ca, bhikkhave, phasso?
  22. 分けて説く経 sn12.2:9.2比丘たちよ、接触にはこの六つの群があります—Chayime, bhikkhave, phassakāyā—
  23. 分けて説く経 sn12.2:9.4比丘たちよ、これを接触といいます。Ayaṁ vuccati, bhikkhave, phasso.
  24. 分けて説く経 sn12.2:10.1比丘たちよ、六つの感覚の入り口とは何ですか?Katamañca, bhikkhave, saḷāyatanaṁ?
  25. 分けて説く経 sn12.2:10.3比丘たちよ、これを六つの感覚の入り口といいます。idaṁ vuccati, bhikkhave, saḷāyatanaṁ.
  26. 分けて説く経 sn12.2:11.1比丘たちよ、名と物質とは何ですか?Katamañca, bhikkhave, nāmarūpaṁ?
  27. 分けて説く経 sn12.2:11.7比丘たちよ、これを名と物質といいます。Idaṁ vuccati, bhikkhave, nāmarūpaṁ.
  28. 分けて説く経 sn12.2:12.1比丘たちよ、識とは何ですか?Katamañca, bhikkhave, viññāṇaṁ?
  29. 分けて説く経 sn12.2:12.2比丘たちよ、識にはこの六つの群があります—Chayime, bhikkhave, viññāṇakāyā—
  30. 分けて説く経 sn12.2:12.4比丘たちよ、これを識といいます。Idaṁ vuccati, bhikkhave, viññāṇaṁ.
  31. 分けて説く経 sn12.2:13.1比丘たちよ、形成作用とは何ですか?Katame ca, bhikkhave, saṅkhārā?
  32. 分けて説く経 sn12.2:13.2比丘たちよ、形成作用にはこの三つがあります—Tayome, bhikkhave, saṅkhārā—
  33. 分けて説く経 sn12.2:13.4比丘たちよ、これらを形成作用といいます。Ime vuccanti, bhikkhave, saṅkhārā.
  34. 分けて説く経 sn12.2:14.1比丘たちよ、無明とは何ですか?Katamā ca, bhikkhave, avijjā?
  35. 分けて説く経 sn12.2:14.2比丘たちよ、苦しみについて知がないこと、苦しみの起こりについて知がないことです。苦しみの消滅について知がないことです。苦しみの消滅へ導く実践の道について知がないことです。Yaṁ kho, bhikkhave, dukkhe aññāṇaṁ, dukkhasamudaye aññāṇaṁ, dukkhanirodhe aññāṇaṁ, dukkhanirodhagāminiyā paṭipadāya aññāṇaṁ.
  36. 分けて説く経 sn12.2:14.3比丘たちよ、これを無明といいます。Ayaṁ vuccati, bhikkhave, avijjā.
  37. 分けて説く経 sn12.2:15.1このように、比丘たちよ、無明を条件として、形成作用が生じます;Iti kho, bhikkhave, avijjāpaccayā saṅkhārā;
  38. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:1.2そこで世尊は、五人組の比丘たちに呼びかけられました。Tatra kho bhagavā pañcavaggiye bhikkhū āmantesi:
  39. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:1.3「比丘たちよ」と。“bhikkhavo”ti.
  40. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:1.4「尊師よ」と、その比丘たちは世尊に答えました。“Bhadante”ti te bhikkhū bhagavato paccassosuṁ.
  41. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:2.1「比丘たちよ、物質は自己ではありません。“Rūpaṁ, bhikkhave, anattā.
  42. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:2.2もしこの物質が自己であるなら、比丘たちよ、この物質は患いにつながらないでしょう。そして物質について、次のようにできるでしょう。Rūpañca hidaṁ, bhikkhave, attā abhavissa, nayidaṁ rūpaṁ ābādhāya saṁvatteyya, labbhetha ca rūpe:
  43. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:2.4しかし、比丘たちよ、物質は自己ではないので、物質は患いにつながります。そして物質について、次のようにはできません。Yasmā ca kho, bhikkhave, rūpaṁ anattā, tasmā rūpaṁ ābādhāya saṁvattati, na ca labbhati rūpe:
  44. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:3.2もしこの感受が自己であるなら、比丘たちよ、この感受は患いにつながらないでしょう。そして感受について、次のようにできるでしょう。Vedanā ca hidaṁ, bhikkhave, attā abhavissa, nayidaṁ vedanā ābādhāya saṁvatteyya, labbhetha ca vedanāya:
  45. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:3.4しかし、比丘たちよ、感受は自己ではないので、感受は患いにつながります。そして感受について、次のようにはできません。Yasmā ca kho, bhikkhave, vedanā anattā, tasmā vedanā ābādhāya saṁvattati, na ca labbhati vedanāya:
  46. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:4.3もしこれらの形成作用が自己であるなら、比丘たちよ、これらの形成作用は患いにつながらないでしょう。そして形成作用について、次のようにできるでしょう。Saṅkhārā ca hidaṁ, bhikkhave, attā abhavissaṁsu, nayidaṁ saṅkhārā ābādhāya saṁvatteyyuṁ, labbhetha ca saṅkhāresu:
  47. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:4.5しかし、比丘たちよ、形成作用は自己ではないので、形成作用は患いにつながります。そして形成作用について、次のようにはできません。Yasmā ca kho, bhikkhave, saṅkhārā anattā, tasmā saṅkhārā ābādhāya saṁvattanti, na ca labbhati saṅkhāresu:
  48. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:5.2もしこの識が自己であるなら、比丘たちよ、この識は患いにつながらないでしょう。そして識について、次のようにできるでしょう。Viññāṇañca hidaṁ, bhikkhave, attā abhavissa, nayidaṁ viññāṇaṁ ābādhāya saṁvatteyya, labbhetha ca viññāṇe:
  49. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:5.4しかし、比丘たちよ、識は自己ではないので、識は患いにつながります。そして識について、次のようにはできません。Yasmā ca kho, bhikkhave, viññāṇaṁ anattā, tasmā viññāṇaṁ ābādhāya saṁvattati, na ca labbhati viññāṇe:
  50. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:6.1比丘たちよ、これをどう思いますか。Taṁ kiṁ maññatha, bhikkhave,
  51. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:7.1「それゆえ、比丘たちよ、過去・未来・現在の物質のうち、内にあるもの、あるいは外にあるもの、粗いもの、あるいは細かなもの、劣ったもの、あるいは優れたもの、遠くにあるもの、あるいは近くにあるもの、そのすべての物質を、『これは私のものではない。これは私ではない。これは私の自己ではない』と、このようにありのままに正しい知恵で見なければなりません。“Tasmātiha, bhikkhave, yaṁ kiñci rūpaṁ atītānāgatapaccuppannaṁ ajjhattaṁ vā bahiddhā vā oḷārikaṁ vā sukhumaṁ vā hīnaṁ vā paṇītaṁ vā yaṁ dūre santike vā, sabbaṁ rūpaṁ: ‘netaṁ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti evametaṁ yathābhūtaṁ sammappaññāya daṭṭhabbaṁ.
  52. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:11.1比丘たちよ、このように見る、教えを聞いて学んだ尊い弟子は、物質にも魅力を感じなくなり、感受にも魅力を感じなくなり、想にも魅力を感じなくなり、形成作用にも魅力を感じなくなり、識にも魅力を感じなくなります。Evaṁ passaṁ, bhikkhave, sutavā ariyasāvako rūpasmimpi nibbindati, vedanāyapi nibbindati, saññāyapi nibbindati, saṅkhāresupi nibbindati, viññāṇasmimpi nibbindati.
  53. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:12.2五人組の比丘たちは心から喜び、世尊の言葉を受け入れました。Attamanā pañcavaggiyā bhikkhū bhagavato bhāsitaṁ abhinanduṁ.
  54. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:12.3さて、この説明が語られている間に、五人組の比丘たちの心は、何ものにも執着せずに、心の汚れから解き放たれました。Imasmiñca pana veyyākaraṇasmiṁ bhaññamāne pañcavaggiyānaṁ bhikkhūnaṁ anupādāya āsavehi cittāni vimucciṁsūti.
  55. 教えの輪を転じた経 sn56.11:1.2そこで世尊は、五人組の比丘たちに語りかけられました。Tatra kho bhagavā pañcavaggiye bhikkhū āmantesi:
  56. 教えの輪を転じた経 sn56.11:2.1「比丘たちよ、家を出た者が近づいてはならない二つの極端があります。“Dveme, bhikkhave, antā pabbajitena na sevitabbā.
  57. 教えの輪を転じた経 sn56.11:2.4比丘たちよ、タターガタは、これら二つの極端に近づくことなく、中道をさとられました。それは眼を開かせ、知を生じさせ、静まりへ、深く知ることへ、目覚めへ、涅槃へと導きます。Ete kho, bhikkhave, ubho ante anupagamma majjhimā paṭipadā tathāgatena abhisambuddhā cakkhukaraṇī ñāṇakaraṇī upasamāya abhiññāya sambodhāya nibbānāya saṁvattati.
  58. 教えの輪を転じた経 sn56.11:3.1では比丘たちよ、タターガタがさとられ、眼を開かせ、知を生じさせ、静まりへ、深く知ることへ、目覚めへ、涅槃へと導くその中道とは、何であろうか。Katamā ca sā, bhikkhave, majjhimā paṭipadā tathāgatena abhisambuddhā cakkhukaraṇī ñāṇakaraṇī upasamāya abhiññāya sambodhāya nibbānāya saṁvattati?
  59. 教えの輪を転じた経 sn56.11:3.4比丘たちよ、これが、タターガタがさとられ、眼を開かせ、知を生じさせ、静まりへ、深く知ることへ、目覚めへ、涅槃へと導く中道です。Ayaṁ kho sā, bhikkhave, majjhimā paṭipadā tathāgatena abhisambuddhā cakkhukaraṇī ñāṇakaraṇī upasamāya abhiññāya sambodhāya nibbānāya saṁvattati.
  60. 教えの輪を転じた経 sn56.11:4.1さて比丘たちよ、これが尊い真理である苦しみです——Idaṁ kho pana, bhikkhave, dukkhaṁ ariyasaccaṁ—
  61. 教えの輪を転じた経 sn56.11:4.3さて比丘たちよ、これが尊い真理である苦しみの起こりです——Idaṁ kho pana, bhikkhave, dukkhasamudayaṁ ariyasaccaṁ—
  62. 教えの輪を転じた経 sn56.11:4.6さて比丘たちよ、これが尊い真理である苦しみの消滅です——Idaṁ kho pana, bhikkhave, dukkhanirodhaṁ ariyasaccaṁ—
  63. 教えの輪を転じた経 sn56.11:4.8さて比丘たちよ、これが尊い真理である苦しみの消滅にいたる実践の道です——Idaṁ kho pana, bhikkhave, dukkhanirodhagāminī paṭipadā ariyasaccaṁ—
  64. 教えの輪を転じた経 sn56.11:5.1比丘たちよ、『これが尊い真理である苦しみである』と、かつて聞いたことのない事がらについて、わたしに眼が生じ、知が生じ、知恵が生じ、明が生じ、光が生じました。‘Idaṁ dukkhaṁ ariyasaccan’ti me, bhikkhave, pubbe ananussutesu dhammesu cakkhuṁ udapādi, ñāṇaṁ udapādi, paññā udapādi, vijjā udapādi, āloko udapādi.
  65. 教えの輪を転じた経 sn56.11:5.2比丘たちよ、『尊い真理であるこの苦しみは、あまねく知られるべきである』と、かつて……〔省略〕……生じました。‘Taṁ kho panidaṁ dukkhaṁ ariyasaccaṁ pariññeyyan’ti me, bhikkhave, pubbe …pe… udapādi.
  66. 教えの輪を転じた経 sn56.11:5.3比丘たちよ、『尊い真理であるこの苦しみは、あまねく知られた』と、かつて聞いたことのない事がらについて、わたしに眼が生じ、知が生じ、知恵が生じ、明が生じ、光が生じました。‘Taṁ kho panidaṁ dukkhaṁ ariyasaccaṁ pariññātan’ti me, bhikkhave, pubbe ananussutesu dhammesu cakkhuṁ udapādi, ñāṇaṁ udapādi, paññā udapādi, vijjā udapādi, āloko udapādi.
  67. 教えの輪を転じた経 sn56.11:6.1比丘たちよ、『これが尊い真理である苦しみの起こりである』と、かつて聞いたことのない事がらについて、わたしに眼が生じ、知が生じ、知恵が生じ、明が生じ、光が生じました。‘Idaṁ dukkhasamudayaṁ ariyasaccan’ti me, bhikkhave, pubbe ananussutesu dhammesu cakkhuṁ udapādi, ñāṇaṁ udapādi, paññā udapādi, vijjā udapādi, āloko udapādi.
  68. 教えの輪を転じた経 sn56.11:6.2比丘たちよ、『尊い真理であるこの苦しみの起こりは、捨てられるべきである』と、かつて……〔省略〕……生じました。‘Taṁ kho panidaṁ dukkhasamudayaṁ ariyasaccaṁ pahātabban’ti me, bhikkhave, pubbe …pe… udapādi.
  69. 教えの輪を転じた経 sn56.11:6.3比丘たちよ、『尊い真理であるこの苦しみの起こりは、捨てられた』と、かつて聞いたことのない事がらについて、わたしに眼が生じ、知が生じ、知恵が生じ、明が生じ、光が生じました。‘Taṁ kho panidaṁ dukkhasamudayaṁ ariyasaccaṁ pahīnan’ti me, bhikkhave, pubbe ananussutesu dhammesu cakkhuṁ udapādi, ñāṇaṁ udapādi, paññā udapādi, vijjā udapādi, āloko udapādi.
  70. 教えの輪を転じた経 sn56.11:7.1比丘たちよ、『これが尊い真理である苦しみの消滅である』と、かつて聞いたことのない事がらについて、わたしに眼が生じ、知が生じ、知恵が生じ、明が生じ、光が生じました。‘Idaṁ dukkhanirodhaṁ ariyasaccan’ti me, bhikkhave, pubbe ananussutesu dhammesu cakkhuṁ udapādi, ñāṇaṁ udapādi, paññā udapādi, vijjā udapādi, āloko udapādi.
  71. 教えの輪を転じた経 sn56.11:7.2比丘たちよ、『尊い真理であるこの苦しみの消滅は、自ら確かめるべきである』と、かつて……〔省略〕……生じました。‘Taṁ kho panidaṁ dukkhanirodhaṁ ariyasaccaṁ sacchikātabban’ti me, bhikkhave, pubbe …pe… udapādi.
  72. 教えの輪を転じた経 sn56.11:7.3比丘たちよ、『尊い真理であるこの苦しみの消滅は、自ら確かめられた』と、かつて聞いたことのない事がらについて、わたしに眼が生じ、知が生じ、知恵が生じ、明が生じ、光が生じました。‘Taṁ kho panidaṁ dukkhanirodhaṁ ariyasaccaṁ sacchikatan’ti me, bhikkhave, pubbe ananussutesu dhammesu cakkhuṁ udapādi, ñāṇaṁ udapādi, paññā udapādi, vijjā udapādi, āloko udapādi.
  73. 教えの輪を転じた経 sn56.11:8.1比丘たちよ、『これが尊い真理である苦しみの消滅にいたる実践の道である』と、かつて聞いたことのない事がらについて、わたしに眼が生じ、知が生じ、知恵が生じ、明が生じ、光が生じました。‘Idaṁ dukkhanirodhagāminī paṭipadā ariyasaccan’ti me, bhikkhave, pubbe ananussutesu dhammesu cakkhuṁ udapādi, ñāṇaṁ udapādi, paññā udapādi, vijjā udapādi, āloko udapādi.
  74. 教えの輪を転じた経 sn56.11:8.2比丘たちよ、『尊い真理であるこの苦しみの消滅にいたる実践の道は、修められるべきである』と、かつて……〔省略〕……生じました。‘Taṁ kho panidaṁ dukkhanirodhagāminī paṭipadā ariyasaccaṁ bhāvetabban’ti me, bhikkhave, pubbe …pe… udapādi.
  75. 教えの輪を転じた経 sn56.11:8.3比丘たちよ、『尊い真理であるこの苦しみの消滅にいたる実践の道は、修められた』と、かつて聞いたことのない事がらについて、わたしに眼が生じ、知が生じ、知恵が生じ、明が生じ、光が生じました。‘Taṁ kho panidaṁ dukkhanirodhagāminī paṭipadā ariyasaccaṁ bhāvitan’ti me, bhikkhave, pubbe ananussutesu dhammesu cakkhuṁ udapādi, ñāṇaṁ udapādi, paññā udapādi, vijjā udapādi, āloko udapādi.
  76. 教えの輪を転じた経 sn56.11:9.1比丘たちよ、これら四つの尊い真理について、このように三めぐり十二のかたちで、あるがままに知り見ることが十分に清らかでなかったあいだは、わたしは、神々やマーラやブラフマーをふくむ世の中でも、修行者やバラモン・神々・人間をふくむ人々のなかでも、『この上ない正しい目覚めをさとった』と言い明かすことはありませんでした。Yāvakīvañca me, bhikkhave, imesu catūsu ariyasaccesu evaṁ tiparivaṭṭaṁ dvādasākāraṁ yathābhūtaṁ ñāṇadassanaṁ na suvisuddhaṁ ahosi, neva tāvāhaṁ, bhikkhave, sadevake loke samārake sabrahmake sassamaṇabrāhmaṇiyā pajāya sadevamanussāya ‘anuttaraṁ sammāsambodhiṁ abhisambuddho’ti paccaññāsiṁ.
  77. 教えの輪を転じた経 sn56.11:10.1しかし比丘たちよ、これら四つの尊い真理について、このように三めぐり十二のかたちで、あるがままに知り見ることが十分に清らかになったとき、わたしは、神々やマーラやブラフマーをふくむ世の中でも、修行者やバラモン・神々・人間をふくむ人々のなかでも、『この上ない正しい目覚めをさとった』と言い明かしました。Yato ca kho me, bhikkhave, imesu catūsu ariyasaccesu evaṁ tiparivaṭṭaṁ dvādasākāraṁ yathābhūtaṁ ñāṇadassanaṁ suvisuddhaṁ ahosi, athāhaṁ, bhikkhave, sadevake loke samārake sabrahmake sassamaṇabrāhmaṇiyā pajāya sadevamanussāya ‘anuttaraṁ sammāsambodhiṁ abhisambuddho’ti paccaññāsiṁ.
  78. 教えの輪を転じた経 sn56.11:10.5五人組の比丘たちは心をよろこばせ、世尊の語られたことを喜んで受けました。Attamanā pañcavaggiyā bhikkhū bhagavato bhāsitaṁ abhinandunti.