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ñāṇaニャーナ

ñāṇa.knowledge

訳
知
説明
対象・事実・状態がどのようであるかを把握し、それについて「分かっている」と成立する認識内容。見ること(dassana)や知恵(paññā)と並べて語られる場合にも、対象について成立した知そのものを指し、複合語でもこの核を保つ。〔暫定〕

出てくる節(15)

  1. 自己ではないという特徴の経 sn22.59:11.2魅力を感じなくなると、貪りを離れます。貪りを離れることで解き放たれます。解放されたとき、『解放された』という知が生じます。Nibbindaṁ virajjati; virāgā vimuccati. Vimuttasmiṁ vimuttamiti ñāṇaṁ hoti.
  2. 教えの輪を転じた経 sn56.11:2.4比丘たちよ、タターガタは、これら二つの極端に近づくことなく、中道をさとられました。それは眼を開かせ、知を生じさせ、静まりへ、深く知ることへ、目覚めへ、涅槃へと導きます。Ete kho, bhikkhave, ubho ante anupagamma majjhimā paṭipadā tathāgatena abhisambuddhā cakkhukaraṇī ñāṇakaraṇī upasamāya abhiññāya sambodhāya nibbānāya saṁvattati.
  3. 教えの輪を転じた経 sn56.11:3.1では比丘たちよ、タターガタがさとられ、眼を開かせ、知を生じさせ、静まりへ、深く知ることへ、目覚めへ、涅槃へと導くその中道とは、何であろうか。Katamā ca sā, bhikkhave, majjhimā paṭipadā tathāgatena abhisambuddhā cakkhukaraṇī ñāṇakaraṇī upasamāya abhiññāya sambodhāya nibbānāya saṁvattati?
  4. 教えの輪を転じた経 sn56.11:3.4比丘たちよ、これが、タターガタがさとられ、眼を開かせ、知を生じさせ、静まりへ、深く知ることへ、目覚めへ、涅槃へと導く中道です。Ayaṁ kho sā, bhikkhave, majjhimā paṭipadā tathāgatena abhisambuddhā cakkhukaraṇī ñāṇakaraṇī upasamāya abhiññāya sambodhāya nibbānāya saṁvattati.
  5. 教えの輪を転じた経 sn56.11:5.1比丘たちよ、『これが尊い真理である苦しみである』と、かつて聞いたことのない事がらについて、わたしに眼が生じ、知が生じ、知恵が生じ、明が生じ、光が生じました。‘Idaṁ dukkhaṁ ariyasaccan’ti me, bhikkhave, pubbe ananussutesu dhammesu cakkhuṁ udapādi, ñāṇaṁ udapādi, paññā udapādi, vijjā udapādi, āloko udapādi.
  6. 教えの輪を転じた経 sn56.11:5.3比丘たちよ、『尊い真理であるこの苦しみは、あまねく知られた』と、かつて聞いたことのない事がらについて、わたしに眼が生じ、知が生じ、知恵が生じ、明が生じ、光が生じました。‘Taṁ kho panidaṁ dukkhaṁ ariyasaccaṁ pariññātan’ti me, bhikkhave, pubbe ananussutesu dhammesu cakkhuṁ udapādi, ñāṇaṁ udapādi, paññā udapādi, vijjā udapādi, āloko udapādi.
  7. 教えの輪を転じた経 sn56.11:6.1比丘たちよ、『これが尊い真理である苦しみの起こりである』と、かつて聞いたことのない事がらについて、わたしに眼が生じ、知が生じ、知恵が生じ、明が生じ、光が生じました。‘Idaṁ dukkhasamudayaṁ ariyasaccan’ti me, bhikkhave, pubbe ananussutesu dhammesu cakkhuṁ udapādi, ñāṇaṁ udapādi, paññā udapādi, vijjā udapādi, āloko udapādi.
  8. 教えの輪を転じた経 sn56.11:6.3比丘たちよ、『尊い真理であるこの苦しみの起こりは、捨てられた』と、かつて聞いたことのない事がらについて、わたしに眼が生じ、知が生じ、知恵が生じ、明が生じ、光が生じました。‘Taṁ kho panidaṁ dukkhasamudayaṁ ariyasaccaṁ pahīnan’ti me, bhikkhave, pubbe ananussutesu dhammesu cakkhuṁ udapādi, ñāṇaṁ udapādi, paññā udapādi, vijjā udapādi, āloko udapādi.
  9. 教えの輪を転じた経 sn56.11:7.1比丘たちよ、『これが尊い真理である苦しみの消滅である』と、かつて聞いたことのない事がらについて、わたしに眼が生じ、知が生じ、知恵が生じ、明が生じ、光が生じました。‘Idaṁ dukkhanirodhaṁ ariyasaccan’ti me, bhikkhave, pubbe ananussutesu dhammesu cakkhuṁ udapādi, ñāṇaṁ udapādi, paññā udapādi, vijjā udapādi, āloko udapādi.
  10. 教えの輪を転じた経 sn56.11:7.3比丘たちよ、『尊い真理であるこの苦しみの消滅は、自ら確かめられた』と、かつて聞いたことのない事がらについて、わたしに眼が生じ、知が生じ、知恵が生じ、明が生じ、光が生じました。‘Taṁ kho panidaṁ dukkhanirodhaṁ ariyasaccaṁ sacchikatan’ti me, bhikkhave, pubbe ananussutesu dhammesu cakkhuṁ udapādi, ñāṇaṁ udapādi, paññā udapādi, vijjā udapādi, āloko udapādi.
  11. 教えの輪を転じた経 sn56.11:8.1比丘たちよ、『これが尊い真理である苦しみの消滅にいたる実践の道である』と、かつて聞いたことのない事がらについて、わたしに眼が生じ、知が生じ、知恵が生じ、明が生じ、光が生じました。‘Idaṁ dukkhanirodhagāminī paṭipadā ariyasaccan’ti me, bhikkhave, pubbe ananussutesu dhammesu cakkhuṁ udapādi, ñāṇaṁ udapādi, paññā udapādi, vijjā udapādi, āloko udapādi.
  12. 教えの輪を転じた経 sn56.11:8.3比丘たちよ、『尊い真理であるこの苦しみの消滅にいたる実践の道は、修められた』と、かつて聞いたことのない事がらについて、わたしに眼が生じ、知が生じ、知恵が生じ、明が生じ、光が生じました。‘Taṁ kho panidaṁ dukkhanirodhagāminī paṭipadā ariyasaccaṁ bhāvitan’ti me, bhikkhave, pubbe ananussutesu dhammesu cakkhuṁ udapādi, ñāṇaṁ udapādi, paññā udapādi, vijjā udapādi, āloko udapādi.
  13. 教えの輪を転じた経 sn56.11:9.1比丘たちよ、これら四つの尊い真理について、このように三めぐり十二のかたちで、あるがままに知り見ることが十分に清らかでなかったあいだは、わたしは、神々やマーラやブラフマーをふくむ世の中でも、修行者やバラモン・神々・人間をふくむ人々のなかでも、『この上ない正しい目覚めをさとった』と言い明かすことはありませんでした。Yāvakīvañca me, bhikkhave, imesu catūsu ariyasaccesu evaṁ tiparivaṭṭaṁ dvādasākāraṁ yathābhūtaṁ ñāṇadassanaṁ na suvisuddhaṁ ahosi, neva tāvāhaṁ, bhikkhave, sadevake loke samārake sabrahmake sassamaṇabrāhmaṇiyā pajāya sadevamanussāya ‘anuttaraṁ sammāsambodhiṁ abhisambuddho’ti paccaññāsiṁ.
  14. 教えの輪を転じた経 sn56.11:10.1しかし比丘たちよ、これら四つの尊い真理について、このように三めぐり十二のかたちで、あるがままに知り見ることが十分に清らかになったとき、わたしは、神々やマーラやブラフマーをふくむ世の中でも、修行者やバラモン・神々・人間をふくむ人々のなかでも、『この上ない正しい目覚めをさとった』と言い明かしました。Yato ca kho me, bhikkhave, imesu catūsu ariyasaccesu evaṁ tiparivaṭṭaṁ dvādasākāraṁ yathābhūtaṁ ñāṇadassanaṁ suvisuddhaṁ ahosi, athāhaṁ, bhikkhave, sadevake loke samārake sabrahmake sassamaṇabrāhmaṇiyā pajāya sadevamanussāya ‘anuttaraṁ sammāsambodhiṁ abhisambuddho’ti paccaññāsiṁ.
  15. 教えの輪を転じた経 sn56.11:10.2そしてわたしに、知ることと見ることが生じました。Ñāṇañca pana me dassanaṁ udapādi: